第3章 想いを馳せていた街 ロンドン
ヒースロー発NH−208便
|
1月30日。そのタクシーは二人を乗せて濃い霧の中を走っている。スケジュールのすべてを終え、ホテルをチェックアウト。ヒースロー空港へ向かう、黒いオースチンタクシーの車内で過ごす正午前。
ヒースロー空港の出発ロビーは航空会社によってヒースロー1、ヒースロー2、ヒースロー3、と三つの大きな建物に別れている。それは地下鉄で3駅の距離だから、間違えたら酷い目に遭う。さすがにロンドンが抱える国際空港である。
空港の待合い室。
フロアーはまさに人種のるつぽで、どこの言葉か見当もつかぬことを喋っている者もいる。
フライト状況を示す空港のモニターは、やはり霧のためか午前中の便に教本の遅れが出ている、と伝えている。午後からのフライトはとんど定刻通り。この様子なら我々の乗る便に影響は無さそうだ。
定刻に離陸した全日空機は、ジェット気流のせいで11時間55分後に成田空港へ到着する予定だ。都合20数時間もかかった往路のことを考えると、ずいぶん早く感じる。それにしてもこの成田直行便は日本人が多く、気分的にはもう帰国したも同然である。
機内では座っているだけ。ロンドンでゆっくり過ごしたので、気圧のせいで酷く足がむくむことを除けば、移動の疲れは想像より少ない。緊張していたことも理由なのだろうが、時差ボケはまったくといってよいほど感じないものでもある。
寝てしまえばすぐだな、と思っていた機内では、日々とりとめなく書いた手記を、印象が薄れないうちにまとめるため、終始8時間ほどペンを執っていた。
こうして12日間にわたる、アイルランド、英国の旅は終わった。
NH−208便は、定刻より10数分早く成田空港の滑走路に車輪を下ろした。
旅を終えて...。
1月20日。ブリュッセルの夜景で幕をあげた今回の旅は、ことひと言い表わすなら、主語無くして「凄い」と言わざるを得ない。
バークレイコートホテルで始まった、いきなりの「凄い」は、展示会ショウケース「凄い」と言わしめ、夜のパーティで、またシォコンさんの家でも...。そうしてアラン諸島を訪ね、最大級の「凄い」を実感した。
人生観が変わったなどと言うつもりはないが、この2週間で、何やら3年分を生きたような気がする。率直な感想である。
アイルランド商務庁の大塚氏、パードリックとローリーのオ・シォコン親子、B&Bのマームに、伝説のアランニッター、ツアーを同行した6人のメンバー、道を教えてくれたアンティーク屋のオッチャンも...たくさんの出逢った人たちへ、大感謝を贈ります。 |
|
【追記】
この手記は1992年当時の新聞「アパレルレポート127号」を元にした復刻です。
文中に登場したアランニットのプロデューサー、シォコンさんことパードリック・オ・シォコン氏は1996年の春に亡くなられました。
ご冥福を祈るはもちろん、今後のアランニットの行方などを心に思いながら、ホームページ版の制作した次第です。ご感想などをお寄せください。 FUJITA WEB ISLANDS
|
1999年 初冬
ふじたのぶお
|
* アラン探訪 そして英国へ12 *
|
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
1〜12 遂に完結!
どうぞお楽しみください。 |