アラン諸島は三つの島からなる岩盤上の島。
最も面積が大きく近代化しているイニシュモア島、唯一リゾートビーチを持つイニシア島、そして両島の間に浮かぶ極めて木訥な島がイニシュマン島である。
パイロットは我々東洋の珍客を歓迎してか、おもむろに急降下し、アラン独特の断層を露わにした岩壁(クリフ)に接近した。その高さは優に50〜100メートルもあろうか。波と呼ぶには余りにも荒々しい海水の塊がクリフを抉らんばかりに激しく打ち付け、そして砕ける。一日たりとも弛むこと無く、何千年と繰り返されているのである。
我々の乗った小さな双発機は、藁葺きの家が疎らに点在するイニシュマン島へ近付いた。
海の側にある空港は、滑走路だけが舗装してある貧しい造作。着陸の風景といったら不時着同然の懸念を強いられる。予測にたがわず模型飛行機が着陸するような様である。はっきり言って一番怖い瞬間だった。
手荷物を受取り、荒涼とした、しかし青い芝生の上を歩き、公衆トイレほどの大きさでしかない空港ビルディングに通された。人の気配は無い。
旧いランドローバー(ジープ)で辿り着いた本日の宿は、民宿というより単なる民家。大人になって家を出た家族の、空いた部屋に泊まらせてもらう訳である。
この形式の宿はアイルランドや英国に多く、ベッド&ブレックファスト(B&B)と呼ぶ、朝食付き貸し宿業なのである。部屋の壁飾りや置物はそのまま、クローゼットには元住人の衣類まで入っていて、甚だしく居候の気分が味わえる。
前夜までのホテルがアイルランドの最高級ホテルだっただけに、そのギャップといったら、国賓級の宿から田舎の山小屋に移ったようと言いたいところだが、本当のことなので比喩にもならない。しかし島にあるたった一軒の宿、文句など言っている場合ではない。
食事や風呂などの接客...と言うより身の回りの世話は、ちょうど親戚の家へ泊りに行ったときのそれと同じで、まことにアットホームだ。
ディナーはマトンのステーキ。世辞にも美味いとは言いにくいが、味のことよりその量たるや、とても食べ切れるものではない。付け合せのポテトや野菜だけでも尋常な盛りつけではなく、加えて上パン、デザート、そしてあくまでもティ。
だいたいこの国は何処へ行っても量は多いのだが、田舎に行くはど大量の食事で歓迎する習慣は日本と同じようである。
一方、風呂は、B&Bというだけあってホーロー製のいくらか近代化した設備だが、ここでもまた知らぬが故のハプニングに遭遇するのだった。
島民の生活と暖炉は、密接な関わりを持っている。居間、食堂、台所の機能を備えるLDKらしい一つの部屋には、「システム暖炉」とも呼ぶことができる代物がある。石炭口の隣の扉は直火オープン、その上がコンロ火口、その上の網棚が衣類の乾燥スペース。さらに煙突部分で部屋の暖をとり、同時に湧かした湯をストックする仕組みの優れた火元である。
問題はこの湯。
一番風呂に入った一行の一人堀江氏は、湯船にたっぶりと湯を満たし、「あ−、いいフロだった」と上機嫌で戻ってきた。
「そうですか...しからば」と、続いて入ってみたなら、徐々にシャワーの湯がぬるく冷めてゆく。冗談じゃない...慌てて飛び出した。その後は完全な冷水。外は1月も下旬の真冬である。
どうやらこの「システム暖炉」とは、火を消したら湯の保温能力が無いらしい。そうとは知らず勢いよく入ったこちらも目出度いが、それならそうと言ってくれれば良いものを...まったく酷い目に遭った。
この仕掛けを理解したのは、それから2日後。翌日のイニシア島の夜も同じことをやらかしてしまうのであった。あろうことか、またしても一番風呂は堀江氏だった。さらに目出度い。
夜も更け、寒さに拍車をかけるように外から雨の音が聞こえてきた。
しかし夜の寒さとマトンを除けば、この宿は決して居心地の悪いものではない。何もかもがハイテク化していない素朴な空間と心温まるもてなしは、物理的にはともかく、精神的に大きな安らぎを得ることができる。アランの人々の、僅かな生活だけを垣間見たには違いないが、どこか羨ましく思えるベッドの中だった。
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