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戦後の復興に明け暮れていた闇市の時代。大阪道頓堀の商人だった初代、藤田邦雄(93才没)が、二代目、雄之助と共に広島駅前の松原町に約3坪の「藤田サービスの店」を開店する。大阪の現金問屋で仕入れた商品を、大風呂敷で担ぎ店頭に並べていた時代。
1956年衣料統制が解除され購入切符制度がなくなる。昭和27年1月、店を株式会社に改組。現在の株式会社フジタグループの前身「藤田サービス」となる。その後、河童(カッパ)のキャラクター看板で「肌着のフジタ」をチェーン展開。本店銀座店を流川町に構え、支店を舟入本町と岩国駅前(現店舗の位置)に出すが、広島の店舗が都市計画で立ち退きになり、内整理をして岩国店だけを残す。岩国店の出店は昭和33年。
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