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ふじた読本[もくじ]






HOME >>ビスポークテイラー >>日本のスーツ史短評


タイトル

1940年代
 戦後、日本のスーツは、英国のスーツのルーツと同様に軍服から始まった。多くの復員軍人たちは、戦地で着た軍服を仕立て直したり、軍服のまま経済活動へシフトしたのであった。
 英国の軍服は、直立不動の姿勢と敬礼の所作に美しさを求めて仕立てられているが、日本のそれは敗戦から立ち上がるために、働く男たちの汗が似合う仕事着(作業服)としての側面をもって、現代のスーツの礎をなした。
 すでにこの時代、欧州の各地ではブリオーニ、キトン、セリーヌなどのブランドが産声をあげていた。


1950年代
 50年代になると、少しずつ世の中にゆとりが生まれてきた。
 アメリカからボールドルックがもたらされたのもこの時代であり、日本のスーツの流行は、ほとんど映画が創出していた時代だった。
 なかでも1956年、石原慎太郎の小説「太陽の季節」が上映されると、主人公の石原裕次郎のファッションが大流行し、着こなしやヘアスタイルを真似た若者が街に溢れた。
 この時代のスーツはボールドルックの流れをくみ、肩幅の広い上着と、裾の細いパンツのスタイルが主流であった。


1960年代
 東京オリンピックが開催された日本では空前の好景気を迎え、高度成長期へ入った時代。若者たちのエネルギーはさらに活気づき、アイビールックが爆発的なブームとなった。
 アイビールックを提唱したVAN社の石津謙介氏はファッションのカリスマとして君臨し、アイビールックに類するアイテムが大流行した。しかし流行は、後に団塊世代と呼ばれる当時の若者世代に限った事象で、そのころの大人たちは、「スーツ」イコール「仕事着」と云う貧しいファッション概念に支配されていた。
 それでもこの時代は、後に、日本のメンズファッションの基盤となるセンセイショナルな時代だった。


1970年代
 オイルクライシスに遭遇し激動の時代を迎えた70年代は、ファッションに感性が云われはじめた時代だった。
 時代はモーレツからビューティフルへ。若者たちの感性はアイビーが進化し「ニュートラ派」と呼ばれる独自の形を成していた。一方ではヨーロピアン感覚を意識した「コンチネンタル派」が生まれ、若者のファッションは、それまでの通り一遍から変化をみせはじめた。
 その後、ニュートラ派はラルフ・ローレンなどの新生ニューヨーク系デザイナーへ引き継がれ、コンチネンタル・ファッションはタイトで窮屈なスタイルから、ソウルフルな黒人好みのスタイルへと継承された。やがてジーンズなどの新たなアイテムを加え、ファッションのユニセックス化が加速した時代である。
 巷ではアラン・ドロンを好む奥様方に真似させられた哀れな亭主が、ダーバンのパンタロン・スーツで職場に現れる姿も見られ、ようやく仕事着のスーツにも「感性」が付加した時代でもあった。


1980年代
 日本はバブル経済の絶頂を迎えた。ファッションも高価な欧州のブランド志向へと急激にシフトし、デザイナー&キャラクターブランドが理由なく支持された。
 メンズ・ビギ、ムッシュ・ニコルなどが若者の憧れとして存在し、多くのブランドやアパレルメイカーが追随した時代だった。街には高価なアルマーニのソフトスーツを身につけ、六本木でBMWを転がすことがステイタスとされたのも、この時代の出来事である。
 当時の日本式ソフトスーツは、サイズ感覚の狂った(肩幅とチェストが無茶に大きい)代物で、手の甲が袖の中に隠れるほど長い不格好なスーツが大手を振っていた。バブルの成功者を気取って、自分を大きく見せるに好都合だったのかも知れない。しかし、当時の乏しいサイズ感覚が後のメンズスーツの正しい寸法感覚を妨げたことは否めない。


1990年代
 バブル経済は崩壊し、それまで一辺倒だったソフトスーツは影を潜める。  多くの人は、英国調スタイルに乗り換えてみたり、かつてのアイビールックを回想してみることも試みられた。ロードサイドの激安スーツを購入して後悔したのも、この時代のことである。
 不安定な経済情勢の中にあって、真面目さをアッピールする手段として、高級ブランドを好む層が動きを見せはじめた。
 一部の若者たちは、アメリカにおいて「インターナショナル・クラシック」と呼ばれるクラシコ・イタリア風のスーツや、ややモード化したスーツに夢中となった。 それは本切羽、比翼前たて、お台場など、マニアックなディティールにこだわる形で現れた。
 ただし日本のメイカーが考えるクラシコ・イタリアは、ごく一部のメイカーを除いて、本場イタリアのクラシコとはまったく異なるものである。クラシコ・イタリアは、その思想、縫製技術、感性にいたるまで、まるで大人と子供の相違があることを忘れてはならない。


21世紀
 経済不安は終焉を見ず、依然として悪化を辿る。メンズファッション界も統合やブランドの消滅が繰り返され、中途半端なものが淘汰される時代へと移り変わった。
 余計なものが削られ、本物を見極めて、長く着られるスーツを人々は求めはじめた。戦後から経験したメンズファッションの変遷を糧に、世界へ通用するスタイルが好まれる時代となり、ようやく日本のスーツは安定期を迎えた。
 日本人にとってのスーツは単なるファッションではなく、着用する人のいきざまやメッセージを伝えるツールとして、十人十色のスタイルを追求する時代となり、静かな進化を続けている。


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